片柳を解剖する
片柳エリアとは
片柳エリアとは旧片柳村を対象とし、面積約960ha・人口41,999人/16,696世帯(2020年国調)の地区です。
片柳地区は、3方向を見沼田圃に囲まれ、東西5km程、南北3km程、県道さいたま幸手線より西側は市街化区域、東側は市街化調整区域に指定されています。
まちづくりの対象エリアとして、片柳地区を一つのまとまった生活圏として想定します。
●対象エリア:見沼区大字片柳、片柳1・2片柳東、大字山、大字染谷、染谷1・2・3、大字東新井、大字笹丸、大字御蔵、大字南中野、大字南中丸、大字中川、大字上山口新田、大字西山村新田、大字新右エ門新田、大字加田屋新田、加田屋1・2、大字西山新田、大字見山
片柳の歴史を探る
地図からみたまちの変遷:片柳村の時代1924年(大正13年)以降の国土地理院の5万分の1地形図を比べてみると、以下の ように推移しています。
1924年(大正13)
関東大震災1923年(大正12)翌年の地図です。江戸期から継続する農地と樹木に囲まれた農家が台地上に散在しています。
1952年(昭和27)
戦後、浦和と幸手を結ぶ南北の主要道路さいたま幸手線が整備されました。1955年(昭和30)に片柳村は、大宮市に編入しました。村内の散在する集落は戦前からほぼ変化はなく、当時の村人口は4,800人程でした。
1969年(昭和44)
高度成長期の市街化拡大時代に入り、大宮と岩槻を東西に結ぶ主要道路が整備され、片柳地区も新規の住宅が拡大しています。市街化区域が指定される直前の市街地です。
1979年(昭和54)
1970年(昭和45)に新都市計画法の施行により、県道さいたま幸手線を境界に西側が市街化区域、東側が市街化調整区域に指定され、海老沼の低湿地の開発が始まり、東新井住宅団地が形成されています。また、市街化調整区域の加田屋新田の谷戸に市営霊園の開発が始まりました。
1994年(平成6)
さいたま新都心の大規模開発が始まるとともに、県道さいたま幸手線以西の市街化区域内の古道に沿って住宅が建て込んだ市街地化が進んでいます。
2018年(平成30)
新都心東側地区の開発圧力が高まり、2000年(平成12)にさいたま新都心線が建設され、見沼田圃の農地の荒地化や緑地の減少がみられます。